Peace Position~平和の位置


 瞑想により精神を内なる幸福に到達させ、世界平和を創造することは、私達が今なすべきことです。これは私達一人ひとりが関わるべきことです。文化や信念が違うからと言って、瞑想を学ぶ機会を無駄にするべきではありません。私達は異なる国家、宗教、人種の中に生を得ましたが、生まれてから老いるまで、避けることのできない苦しみ、病や死を分かち合う仲間なのです。

 瞑想も呼吸と同様に、全ての人が実践できる全世界共通のものです。瞑想は、内なる平穏と幸せに到達することで、精神を向上させてくれます。瞑想はストレスを和らげ、心を清澄にすることで、賢明な問題解決を促し、人々を幸福な人生へと導きます。これ等は初期の段階で得られる効果です。緊張が解きほぐされることに加え、私達の精神がその中心で静まると、確かな幸福感を感じることができます。より上達すると、瞑想により清らかに物事を考えることができるようになり、誰でも内なる幸福を感じられるようになります。その結果、健全な思考や言動が生まれます。

内なる平安による世界平和#3


 身体の中心で心を静めると、内なる幸せを感じることができます。身体の中心でゆったりと落ちついた気分になればなるほど、自分達の愛する者達や家族、友人、社会などに際限なくその気持ちが広がります。これは宇宙全体を照らしている太陽に似ています。全ての人が瞑想を行えば、国や世界全体まで、その効果が広まります。世界平和を想像してみてください。人々が互いに喜びや友情だけを感じるようになれば、警察や軍隊、刑事司法制度といったものは不要となるでしょう。戦争やテロ、欲や無知はなくなるはずです。

 世界平和は私達自身から始まります。この平和を実現する方法は、お金、国際的な計画や協定を必要としません。私達の心を静め、世界中にそれを広めることで始まるのです。精神を身体の中心で落ち着かせると、善は始まります。私達の心が穏やかであれば、世界平和の獲得は、困難なことではなくなるでしょう。

内なる平安による世界平和#2



 世界平和の夢は、その夢を追う者達が、自身で精神的な充実感を得られなければ、叶うことはありません。全ての者が内なる幸せを経験することができれば、世界平和は起こります。人類の心の汚れが完全に無くなったとき、私達の想像を超える世界平和は突如として可能となり、手の届くものとなるのです。必要なのは初めの一歩を踏み出すこと、瞑想を通して内なる幸福を経験することです。この知恵は人類の歴史同様、古来から伝わるものです。

内なる平安による世界平和#1

 平和を求める人々は長い間、平和の始め方について議論してきました。彼らは、自然環境、食料の供給、医薬品へのアクセス、法、核兵器の制限、協定、技術、政治的安定、経済、社会、貧困といった広範囲に渡る環境的な要素について検討を重ねています。このような綿密で詳細な調査とは別に、平和のもととなるものは、研究されてきたこれ等の要素より、もっと本質的なところにあるということに、彼等は気づいていません。平和の出発点は、私達の内部に存在するのです。

平和のための教え#2



 平和を獲得する方法は、人々の知識、理解、文化、伝統、考え方、個人的な満足感によって異なるものの、全ての宗教の根本原理は、人々を幸せな生活へと導くことです。人類の共通の敵は、欲、怒り、無知といった私達の汚れです。争いの真の原因は精神の汚れであり、宗教ではありません。精神が汚れると、残酷で攻撃的な考えや言動が生まれ、他人に対して寛容な態度で接することができなくなります。そして、痛みや苦しみが世界中で起こることになるのです。自分の汚れを絶ち切ってください。自分の宗教に関係なく、異なる信条を持つ人々が互いを嫌ったり、殺めたりしてはならないことを理解してください。本来私達は皆、平和の中で幸せに生きていきたいと思っているのですから。

平和のための教え#1

 私達が暮らす国際社会には、さまざまな信仰に救いを求める人々がいます。多くの場合、宗教の創立者達は、それが仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、シーク教、或いは他の宗教であろうと、自分達の仲間である人類を慈しむことを教えます。他人を利用したり、殺めたり、騙したり、傷つけたりし続ければ、これは宗教の教えに反することになります。平和の追求という宗教の教えに従わないことになるのです。 歴史を通して、人類を分裂させるための道具として、宗教を使ってきた者達もいます。こういった人々は、自分達と異なる信念を持つ者は倒すべき敵である、という誤った考えを持っています。彼等は間違った解釈を広め、宗教の違いは、調和のある生活を不可能にすると宣言します。自分たちの宗教を愛するのならば、そのもととなる教えを学ばなくてはいけません。仏教徒は、お釈迦様の最初の教えを学ばなければなりません。キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒も、それぞれの宗教のもとの教えを学ぶ必要があります。そうすれば、自分達の宗教の真のメッセージは、慈しみの心を持ち、全ての生きとし生けるものに敬意を表し、これを日々の生活で正しく実行することであると気づくでしょう。私達一人ひとりがこれを行えば、悲しみへの道を閉ざし、喜びと天国へと続く扉を開けることができます。自分達の仲間を慈しむのであれば、他人を殺めたり、傷つけたりするのではなく、互いに平和に暮らせるよう努力しなくてはなりません。

人類共通の目標#2



 人類は異なる人種、言葉、宗教、文化、伝統を持った生き物ですが、真の幸せと人生の意味を、常に追い求めるという点では一致しています。これは賞賛すべきことです。しかし、一体、平和と幸福とはどんなものなのでしょうか? また、どこからやってくるのでしょうか? 私達がこういった疑問に答えられない限り、平和や幸せを手に入れることはできません。その答えを見つけることができない私達は、自分達の叡智や洞察に基づいて、この大望を追い続けています。しかしながら、私達の叡智が完全に発達したものでなければ、この追求は成り行き任せで、秩序を欠いたものとなり、私達が追い求める平和の実現は、でたらめのものとなってしまいます。目標を完全に理解していないということは、石の中に水を探したり、砂漠の中で魚を追い求めるようなものです。

 各国のリーダーたちによる国際会議や賞の授与、地域のプロジェクトなどの平和への努力が、ある程度平和な世界を築くことにつながる一方、全ての人々が内なる平安を獲得しなければ、真の平和は起こりません。これを手に入れることができた人こそが、最も名誉ある平和賞に値する真の英雄なのです。各国のリーダーたちが瞑想を行うことで、内なる平安を経験し理解することができれば、この世界は、より平和なものへと変わることができるのです。